今から40数年前私はバンコクで働いていたが、夜遅く車で帰宅するのに近道をしようと公園の中に入って行った。すると何処からともなく妙なる歌声というか唸っているというか声が聞こえてくるのである。声の方に向かって行くと公会堂に沢山イスラム教徒が集まっているのである。受付で何をやっているのかと尋ねたらコーラン(現在ではクムランという)を唱えるコンクールをやっており、1等賞にはタイ国王の優勝カップが出るということであった。
タイといえば仏教の国として知られているが、マレーシアとの国境沿いはイスラムの地方である。バンコク周辺にもたくさんの出稼ぎイスラムがおり、小さなモスクが、特に運河沿いに多いのである。
コーランを唱える技を競うとは面白いと、私はしばらく聞いていたが、コーランは歌うように節をつけるのであるが、普通の歌とは異なり、音程が上がったり下がったり、こぶしがついたりと非常に音楽的である。日本の仏教にも声明というものがあり、テレビで聴くことがあるが、声明が静的であれば、コーランは劇的で、声の素晴らしさに感動を覚える。もちろん歌詞というか言葉はアラビア語である。…
私は若いころ井筒俊彦というイスラム学者が日本語に訳したコーラン(岩波文庫)を読んでいたが、日本語訳をみると、原文がとても韻律を含むようには思えないのであるが、アラビア語は素晴らしいそうである。従ってクムランはアラビア以外の国でもアラビア語で習い、アラビア語で唱えるのが正式なのである。
私は今翻訳者の井筒俊彦の著書「イスラーム思想史:1980年第4刷、岩波書店」を読んでいるが、以下に一部を紹介したい。
「コーランは隅から隅まで視覚的なイマージュに満ちている。そして同時にコーランは、誦すればたちまち高らかにそうそうと鳴渡る不思議な響きを蔵している。
かくも妙なる響きは何処から発して来るのでろうか。回教徒にとっては、コーランそのものが最大な奇跡であった。」(上記書籍10頁)
今やイスラム教は日本にとって無縁の存在とはいえなくなってきた。ご関心の向きはクムラン(コーラン)は岩波文庫で上中下3冊と余り分厚なものではないし、訳者の注釈がたくさん入っているので、ぜひ読まれることをお勧めする。ただし、新、旧約聖書のあらましを知っておかないと理解できないこともある。